2025年04月29日
じゃないほう
某パリピなコメのCMを見ていて思い出した。
例の無双なゲームでは、自分をやたら卑下し、司馬師に心酔しっぱなし。彼からの命令を嬉々として待ちわびる姿は、まるで主の投げるボールをシッポを振って待つ犬のよう。
あ!犬と言えば、こんなのがあったっけ。『蜀は其の竜を得、呉は其の虎を得、魏は、その狗を得たり』(世説新語抜粋)。やたらと眉間に皺を寄せていたあの人――そう、諸葛誕だ!
それにしても、狗だなんてあんまりですな。ちなみに、竜=諸葛亮、虎=諸葛瑾です。
決して劣っていた訳ではないのでしょうが、後の二人が出来すぎていたのか?笑
名声もあり、人々からも慕われたみたいですが、何故か明帝には嫌われていたようで。
まぁ、側近から良からぬ噂を吹き込まれていたせいもあるかもですが。
で、他の仲間たち(夏侯玄とか)もろとも免職にしちゃった!
ある時、杜畿と船の試運転に出かけた諸葛誕。風にあおられ船が転覆!皆と一緒に自らも溺れたもんだから、さぁ大変!!が、助けにきた近衛兵に一言、「先に杜侯(=杜畿)を助けてくれ」と。
自分も危険な状態なのに、他の人を先に助けろなんて、いいヤツじゃん!
そうして気を失った諸葛誕ですが、見事息を吹き返した。その後の事を考えると、ある意味ここで溺れ死んでいた方が、彼にとっては幸せだったのかも…。
毌丘倹・文欽の乱の際も大活躍。でも、その後がいけなかったんですねー。
まぁ、どこかで聞いたことのある、いわば司馬氏専横時期あるあるの、『自分の身に危険が及ぶのを不安に思い』状態に陥り、なんやかんやあって(え?そこ割愛!?/笑)、その時に協力体制をとっていた文欽を殺しちゃうわ、そのせいで息子・文鴦兄弟も離れていっちゃうわで孤立無援状態に。
結局、彼は斬られ、三族は皆殺しになってしまうわけですが、諸葛誕の旗下の兵の中には、最後まで諸葛誕に忠義を誓い処刑された者もいたとか。
人心を掴む才はあったのに、それを生かしきれなかったのは残念ですなぁ。
ブログランキング参加中!
久しぶりの三国志記事にポチっとお願いします!!
人気ブログランキング