>魏
2020年04月14日
我は魏の盾
まだ一度も取り上げたことの無い重要人物がいたことに気がついた。
その名も、曹仁! ごめんね、忘れてて。
ゲーム・真三國無双では、かなり古くからスタメン入り。頼もしい魏の盾である曹仁。
寡黙ながらもしっかりと曹操軍の屋台骨を支える、武人の中の武人…というキャラ設定なのですが、ドラマではかなり嫌なヤツだったなぁ(笑)。
陛下のことを馬鹿にしているのは他の人たちと一緒だけど、唐氏(陛下の兄である亡き弘農王の妻です)に対してあり得ない非礼な振る舞いをしたり、なーんかゲームで育まれた(笑)いいイメージを根底から覆す設定だったなぁ。
曹操の従弟で、各地で諸侯が次々に蜂起した頃から従っているので、軍では最古参の一人。
だから(か知らんけど)正史では夏侯惇・夏侯淵と一緒に伝が立てられています。
なんせ古くからいるので、数多の戦に登場。武功をたてまくっています。
個人的に印象深いのは、荊州平定の際に江陵で呉の周瑜と対峙した戦と、樊城で関羽を迎え討った時かなー。
ということで、上記以外に曹仁が関わった戦をちょっと挙げてみよう!
匡亭の戦い(193)、徐州侵攻(193)、兗州争奪戦(194)、宛城の戦い(197)、官渡の戦い(200)、潼関の戦い(215)、濡須口の戦い(223)
カッコ内はおおよその発生年です。
もちろん、これら以外にも関連して細々とした戦もある訳で。
黄初四年(223年)に五十六歳で逝去したといわれています。
恐らく最後の戦いが濡須口の戦いだとすると、死の直前まで戦に出ていたということでしょう。
まさか疫病で死んだんじゃなかろうな(濡須口では疫病発生も戦終結の理由の一つだったので)。
190年台初頭から主だった戦に出ていることを考えると、30年以上も戦場を駆けていたことに。
曹操・曹丕の親子二代に渡って信頼の厚かった曹仁。こういう人物がもっといれば、曹魏ももうちょっと続いたんじゃないかしら。
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2020年03月24日
累卵、崩れ落ちる
太尉・楊彪の息子。太尉とは官位の実質最高位である三公の一つで、軍事を司る役職。
つまり、名家の出であります。
正史には、『謙虚でつつましく』とありますが、ドラマ・Secret of Three Kingdomsでは、
皇帝すり替えの首謀者の一人で、自信家で目的のためには手段を選ばない人物に描かれていました。やたらと司馬懿にライバル心を燃やしていたなぁ。
彼は実際賢かったようで、いろいろな逸話が残されています。
前回紹介した鶏肋以外にもこんな話が。
(鶏肋って何?という方は前回の記事をどうぞ→ 『能ある鷹は爪を隠せ!』)
ある時、一杯の酪を贈られた曹操。自ら少し飲むと蓋の上に『合』の一文字を書いて一同に見せた。殿の意図するところがわからず当惑する一同。
と、楊脩は杯を手に取るとすぐさま一口飲んで言った。「殿はみんなに一口づつ飲むよう仰せだ。さあさあ、遠慮せず」
はい。漢字謎解きですね。
ちなみに、ここに出てくる『酪』を調べてみると、『牛や羊、馬の乳から作った飲み物』とあります。個人的には乳清(ホエー)みたいなものかなーと思ったり。もしくは、ヨーグルトのものっすごい薄い感じとか?(笑)
で、謎解きに戻ると、『合』の文字は『人・一・口』から成るので、『一人一口』と。
漢字一文字から見事殿の言いたいことを瞬時に悟ったんですね。
前回も書きましたが、曹植と親交が深かったため、対・曹丕との後継者争いにおいて曹植に
あれこれ入れ知恵をします。当然ながら曹植にも楊脩にも不信感を抱く曹操。
加えて元々奔放であるがままの振る舞いが多かった曹植に対し、曹丕は(うわべでは)自らを律し
取り繕っていたため、結果、太子(後継者)の座を得ます。まぁ、腹黒・曹丕の勝ちってことですね。
っと、悪口はこの辺にしておいて(笑)
その才故に重用されていた楊脩ですが、曹操の曹植への寵愛が薄らいでしまったという状況下では、いつか起こるかもしれない変事の元凶となりかねません。
袁氏の甥であることもあいまって、罪を着せられ処刑されました。
ドラマでは、司馬懿に嵌められていましたね?確か…(うろ覚え)
才気走るのも考えものですな (^^;
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2020年02月29日
自分、長男ですからー
三人目はこの方、司馬朗。
ドラマでは、弟・司馬懿に振り回されておりました(笑)
司馬八達で有名な司馬家の長男です。
ちなみに、『八達』というのは、八人兄弟の字に『達』の文字が使われていたことから。
ドラマを見ちゃうと、魏のカテゴリーに入れるのも何な気がしますが、正史にならってと。
がたいがよかったようで、若い頃に試験を受けた際には年齢詐称じゃないかと疑われたらしい。
曰く、親類も大柄な人が多いのだとか。って、かの時代は結構デカイ人が多かったのかしら。
関羽みたいな巨人サイズはさておき、平均身長高めとか?
まぁ、殿のようなちっちゃい人もいるけど(笑) あ、殿というのは曹操のことです。
前回で書いた崔琰と親しかったようで、崔琰は司馬朗に弟の司馬懿はひときわ優れた人物だと言っていたらしい。
それだけならいいけど、「あなた(司馬朗のこと)の及ぶところではないでしょう」と言われてしまっては、司馬朗の心中やいかに(笑)
八達の中でも出来の差はあるでしょうからね。
ドラマでは郷里の顔役的存在の司馬家でしたが、正史上の司馬朗もそれを彷彿とさせるような面倒見のいい人物だったよう。
住民に対する行政も寛大で恵み深かったので、刑罰を用いずとも皆従ったそうです。
建安二十二年、夏侯惇らと共に孫権討伐に向かいましたが、兵のあいだで疫病が蔓延。
それを看病するうちに自らも亡くなってしまいます。
埋葬は簡素に、というのが遺言でした(この遺言、結構な頻度で出てくる)。
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2020年02月15日
ただ己の道を
楽しく見ていたドラマSecret of Three Kingdoms。
確か95話あるはずだったのに、54話で終了。だいぶ端折られちゃったなー。
いきなり話飛ぶなーって思ってたら、がっつり編集してたのね。
残念なようなホッとしたような(さすがに95話見るには根気がいるし/笑)
さて、そのドラマに登場した崔琰。
ドラマの中では陛下に味方する、という立ち位置。漢王朝復権のために、中にいる儒学生もろとも堂を崩壊させるという驚愕の策を実行します(陛下の機転で、全員助けられますが)。
ドラマでは、なかなかに男気溢れる御仁であります。
そんな崔琰、元々は剣術を好む人だったのですが、中国は文を重んじ武を軽んじる風潮だったため、一念発起、鄭玄先生に師事します。
初めは袁紹に招かれ役職に着きますが、官渡で袁紹が曹操に破れた後は曹操陣営に招聘されます。
袁紹を破った曹操が三十万の軍勢を手に入れたと喜んだ際、戦禍に苦しむ民の事を考えるのが第一なのに何事だ!と意見した話は、ドラマでも使われていました。
周りは青ざめたらしいですが、それもそうでしょう。負けた側の人間が勝った方に意見したのですから。
曹操のみならず息子の曹丕も、『狩りにうつつを抜かしておらず、国のことをもっと考えるべき』と諌められています。こういうところも、崔琰が公明正大な人物と評されるところですね。
髭の長さが4尺(約96センチ!?)あったよう。美髭公(関羽)もびっくりな長さです。
威厳のある見た目だったようで、匈奴の使者にも「風采が立派」と言われたとか。
仲の悪い人間に、半ば無実の罪を着せられ曹操から死を命じられた崔琰。
清廉な人物ほど保身には疎いのか。
気がつけば、曹操の疑念は想像以上に深くなっており時すでに遅し、自ら命を絶ちました。
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2019年11月17日
頭上注意
今月から始まったドラマ『三国志 Secret of Three Kingdoms』。
なんと、全95話ということに気づいてしまった…。
現在は、第十話が終わったばかりなので、道はまだ遠い…いや、これからの展開が楽しみか?(笑)。
で、まだまだ序盤の当ドラマですが、主役陣たちとは別に出ずっぱりな人物がいる。
はい、赤い目の縁の満寵さんです(メイクのせいで、いつも泣き腫らしたように、目の周りが赤い/笑)。
先にも書いたように、やたらと切れ者なのです。
満寵…そんな感じだったっけ?
ということで、三国志全人名事典を引いてみた。
~剛毅な人柄で私欲がなく、知勇兼備の名将だった(一部抜粋)~
なんか、べた褒めじゃないですか!しかも、行数も多い(笑)。
この人名事典、3,734人が収録されているので、主要人物以外は、2~3行で片づけられていることも多いのですが、満寵は8行。それなりの扱いなのです。
いえ、別に彼のことが嫌いな訳ではないのですが、いまいちピンとこないなぁ。
これはやはり、正史を読んでみるしかないか。
えーっと、あった、あった、『魏書4』。郭淮と同じところに伝が立っている。
パラパラ頁をめくると…あっ、そうだ!石亭か。やーねー、自分で話を書いておきながら、呉軍メインにしてたからすっかり忘れてた(汗)。
曹操が袁紹と対立していた際、汝南を平定。関羽が攻めてきた時には、曹仁・徐晃と共に樊城を守り敵を退けました。
合肥新城では呉の真似をして(嘘)、火攻めで孫権を撃退!頑張ってるじゃないか、満寵!(笑)
満寵、満偉(息子)、満長武・満奮(孫)は、みんな身長が八尺あったそう。三国時代の一尺は、大体24cmくらいなので、なんと190cm越え!?いやいや、長身な家系だったんですねー。
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