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2011年01月08日

三国一の小心者

(2006年3月掲載)
 
猛き者が集う三国時代。 
しか~し!びっくりするくらいの小心者がいたっ!!
 
 
時はまだ袁紹がブイブイ(笑)いわせてたころ。
 
冀州に韓馥(かんふく)という人がおりました。
この人は冀州牧、つまり州を治めていた人物だったのですが、なんせ気がちょー弱い。
 
あんまりにも気が弱いので、主要な位置にある冀州を治めているのがおっかなくてしょうがない。 
いつ攻められるかわからない土地をビクビクして守っているより、誰かにあげちゃったほうが気が楽じゃん?
 
 
というわけで、冀州を袁紹にあげちゃった...。
 
 
おぃおぃ、そりゃ無いぜよーとビックリ仰天は、彼の家臣の人々。 
なんせ、領土と一緒に自分の軍隊やら家臣やらもそっくりそのまま袁紹に渡してしまったので。。。
 
当の本人はどうしたかというと、袁紹んとこに居候。 
しかし、彼の小心者っぷりはこれに留まらなかった!
 
元の自分の配下が高位に取り立てられたのを見ると、復讐でもされると思ったのか、今度は張邈(ちょうばく)の所へ逃げ込みました。
 
やっとで安住の地を見つけたかに思えたある日、張邈のところに袁紹の使者がやってきました。
 
別に、使者が来るのはどうということでも無いのですが、そこは小心者な韓馥。 
ひそひそ話す使者を見て、「俺を殺す相談に来たに違い無いっ!」 ともうガクガク、ブルブル。
 
 
便所に逃げ込み、自殺してしまいました。
 
 
まぁ、命を絶つのもそれなりに勇気のいることだと思うのですが、小心者の割にはある意味やけにいさぎよかったりして...。
  
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noritama594 at 22:20|PermalinkComments(0)

2011年01月05日

口は禍の元

(2005年12月掲載)
 
以下は、ある人の人物批評。
 
 
荀彧 「弔問や病気見舞いの使者にうってつけ」
 
荀攸 「墓守をさせておけ」
 
張遼 「鉦(かね)や太鼓を鳴らす係」
 
許褚 「牛や馬の放牧係」
 
于禁 「版(土をはさむ板)をかついで土塀を作らせろ」
 
徐晃 「猪(ぶた)や犬の屠殺の役がぴったり」
 
 
と、まぁ、身も蓋も無い言われよう。
 
こんなヒドイ人物批評をしたのが、禰衡(でいこう)。 
孔融が、「素晴らしい人物」として殿(曹操)に推薦した。
 
しかし、この禰衡。確かに優れた人物ではあったようですが、かなりの偏屈野郎でした。 
曹操に召されるのを善しとしなかった彼が発したのが上記の言葉。
 
他にも色々と無礼千万な事を言ったもんだから、怒った張遼は斬り捨てようとしましたが、曹操はそれを止めました。
 
もちろん殿も怒り心頭だったのですが、賢者として名の知れている禰衡を殺すことによって自分の評判が落ちるのを恐れ、手を下すことを避けます。
 
でも、そこはちゃっかり者の殿。自分で手は下したくないが、いかんせん禰衡は憎い。
 
じゃ、誰かに殺させちゃえ!と、荊州への使者として禰衡を(無理矢理)送りだします。 
劉表はその思惑に気付き、苦々しい思いをしつつも禰衡をやり過ごす。が、
 
黄祖が殺っちゃった....。(笑)
 
 
禰衡の場合、身から出た錆といったところか。 
自信過剰も考えものですな。。。
 
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noritama594 at 22:26|PermalinkComments(0)

2010年12月29日

袋叩きにあうヤツ

(2005年10月掲載)
 
さて、「ヤツ」シリーズ第2段!(笑)
 
疑り深いだの、心が狭いだの、自分の家柄を鼻にかけてるだの、かなり評判の悪い袁公路(袁術)。 
何か一つくらいは、いいとこあるだろうと探して見た。
 
 
....無い....。
 
 
袁術の性格の悪さが最初に露呈するのは、董卓討伐戦の時のこと。
 
先陣で勝利を収めていた孫堅軍。その糧秣補給を担当していたのが袁術でした。 
自分が一番で無いと気のすまない袁術としては、孫堅軍が武功をあげて注目を浴びるのが面白く無い。
 
で、食料を送らないという愚劣な行為に出た。
ま、袁術だけでなくこの董卓討伐戦には群雄の思惑が色々と絡んでいたので、後に自然瓦解するという何とも残念な(董卓にとってはラッキーだったでしょう)結果となってしまうのですが…
 
にしても、なんで孫堅はこんなヤツの配下にいたのかなぁ~?と不思議になってしまいます。
当時、確固たる地盤を持ってなかった孫家にとってはしょうがなかったのかもしれませんが。
(何らからのバックアップがないとやってられなかったでしょうしね)
 
袁術最大の愚行が、「帝位僭称事件」。 何と勝手に皇帝の名を名乗るという暴挙に出た!
 
元々、豪奢な暮らしを好む袁術でしたが、「皇帝」となったことでますますその贅沢三昧ぶりに拍車がかかります。
片や兵卒や農民は貧困を辿る一方。袁術の治める地帯は何も無くなって、人が喰いあう事態に陥ります。
 
配下のものもどんどんその下を去り、袁術は孤立していきます。しかも当然、各地の群雄も黙っちゃいない。
 
呂布や曹操に攻撃された袁術はついに、あれだけ仲の悪かった袁紹に皇帝の称号を譲るといい、助けを求めます。
とゆーか、勝手に名乗った称号を譲るも何も無いでしょう?とツッコミ入れたくもなりますが…。
 
 
しかし、袁紹の下へ向かう途中、哀れ袁術は病死してしまいます。
 
 
搾取し続けた彼は、その最期に「蜂蜜入りの水が飲みたい」というささやかな希望もかなえることが出来ず、大量の血を吐いて死んでゆきます。
 
「袁術とあろうものがこんなざまになったか!」と叫びつつ。。。 
 
名門の末路はあまりにも情けないものでした。
 
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noritama594 at 22:57|PermalinkComments(0)

2010年12月23日

イリュージョンな人

(2005年7月掲載)
 
えー、不思議人第一号な左慈。
そのなりは、片目が小さく、片足が悪く、頭に白藤の冠をつけていたそうな。
 
数々の逸話がありますが、ある意味、これだけ曹操を手玉に取り、また怒らせた人物もいないのではないかと…
 
ま、宴会で魚を出したり生姜(蜀産v)を出したり、牡丹を咲かせたりなんてのは序の口。
壁に消えたり、羊になったり、市場中を左慈だらけにしたり。
 
絶対ありえないんですが…。何で正式な歴史書に載っちゃってるんだろ??
 
元々、曹操とは知り合いだったようですが、いきなり「一緒に山で修行はどうですか?あとは(天下は)劉玄徳に任せて」なんて言われれば面白いはずがないですな。
 
獄に繋がれても、もちろん全然こたえない。一週間飲まず喰わずでも、どんなに鞭打たれようとも、平気な顔でいる。もはやイリュージョンとしかいいようがないです。。。
 
無双では、何かにつけ曹操にからんできますが、曹操を敵視し、劉備に肩入れするのは、正史や演義から持ってきているんでしょうね。
 
頭にきた曹操は、なんとしても左慈を捕まえろと命令を下します。
集めに集めた左慈の数、数百人。(笑) もうどうしようもないので、てっとり早く全員斬首します。
 
すると、首から青い気が沸き起こり、左慈の姿に。プリン○ス天功なんて目じゃありません。
と、左慈は白鶴にまたがり飛んでいってしまいます。
 
 
しっかり、曹操の死ぬ日を予言して
 
 
その後、死体がみな起き上がり、曹操めがけて討ちかかってきた!みんな、上へ下への大騒ぎ。
そりゃぁ、何百もの死体が起き上がって襲い掛かってくりゃー、恐ろしいわな。
  
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noritama594 at 14:51|PermalinkComments(0)

2010年12月20日

何がそんなに、好好?

(2005年6月掲載)
 
水鏡先生こと司馬徽です。無双4で「新しい護衛武将が…」と初登場。(ちょっとイメージ違うけど)
 
劉備に臥龍と鳳雛の話をした人として有名です。
この水鏡先生、いわゆる隠者系(なにそれ/笑)で、そんな人種にありがちなちと変わったお人だったようです。
 
人の話を聞きながら、何でも「好好。(よろしい、よろしい)」と相槌をうつ。
先に劉備が「臥龍と鳳雛とは誰のことでしょう?」と訪ねれば、「よろしい、よろしい」。
 
劉「一体、何処にいらっしゃるのでしょう?」 
水「よろしい、よろしい」
話にならんとです。
 
あるとき、一人の婦人が自分の息子が死んだと司馬徽の所へ話にきました。
ところが先生、「よろしい、よろしい」と言ったもんだから、ご婦人が怒った!
 
「息子が死んだのに、よろしいとはあんまりでしょう!!」
しかし、さすがは水鏡先生。
「お前のいうことも、大いによろしい。」
ご婦人は呆れて、それ以上何も言う気にならなんだそうな。
 
そんな司馬徽を人々は、「好好(ハオハオ)先生」と親しみを込めて呼びましたとさ。
  
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noritama594 at 22:36|PermalinkComments(0)